氷
「大道は譬ば水の如し、善く世の中を潤沢して、滞らざる物なり、然るに尊き大道も書に筆して書物と為す時は、世の中を潤沢する事なく、世の中の用に立つ事なし、譬ば水の氷りたるが如し、元水には相違なしといへども少しも潤沢せず、水の用はなさぬなり、而して書物の注釈と云ふ物は又氷に氷柱の下りたるが如く、水の解けて又氷柱と成しに同じ、世の中を潤沢せず、氷の用を為さぬは、矢張同様なり、・・・」
水の用にも氷の用にも立たぬ、書物注釈。そういうものが多いのかな。
「大道は譬ば水の如し、善く世の中を潤沢して、滞らざる物なり、然るに尊き大道も書に筆して書物と為す時は、世の中を潤沢する事なく、世の中の用に立つ事なし、譬ば水の氷りたるが如し、元水には相違なしといへども少しも潤沢せず、水の用はなさぬなり、而して書物の注釈と云ふ物は又氷に氷柱の下りたるが如く、水の解けて又氷柱と成しに同じ、世の中を潤沢せず、氷の用を為さぬは、矢張同様なり、・・・」
水の用にも氷の用にも立たぬ、書物注釈。そういうものが多いのかな。
「夫誠の道は学ばずしておのづから知り、習はずしておのづから覚え、書籍もなく、師匠もなく、而して人々自得して忘れず、是ぞ誠の道の本体なる、渇してのみ飢て食ひ、労れていね覚めて起く、皆此の類なり・・・」(「夜話」)
自ら得る、自得か・・・身につくというのはそういうことだなあ。
種に始まり種に戻るか。
其草始謂一種、中生而為枝葉、末又実而為一種(二宮尊徳、『万物発言集』)
二宮尊徳、『大円鏡』にこうあった。
貧人者、以今日勤功、補昨日衣食、逆天道冥慮、是故貧賤不離其身、
富人者、以今日勤功、補明日衣食、順天道冥慮、是故富貴不離其身、
今日カネを稼いでも、稼ぎ以上の生活をしていると足りなくなり、結局、今日の稼ぎで昨日の出費を補うようになる。これは尊徳さんに言わせれば、天道冥慮に逆らっていて、びんぼーへの道か。今日の稼ぎで明日生活できるような生活にすれば、豊かになり天道冥慮に順っていることになるわけだ。富貴その身を離れずとなりたいもの。
どうもカネも貯まらぬし、ソンばかりしている気がするときがある。おそらく、財は走って行ってしまい、じぶんに止まらず、宝は人との間で往来していつも向こうに往、こちらに来ない・・・のかな(;。;)
尊徳さん『万物発言集』にいわく、
一財為走止、是名謂貧富、一宝為往来、是名謂損益
(一財走止ヲ為ス、是ヲ名テ貧富ト謂フ、一宝往来ヲ為ス、是ヲ名テ損益ト謂フ)
貧富という。しかし、その本を知ること、因って来たるところを知るべきなのだと思う。尊徳『夜話』中にこうある。
分度とはなにかよく理解させてくれる。
翁曰、貧となり富となる、偶然にあらず、富も因て来る処あり、貧も因て来る処あり、人皆貨財は富者の処に集ると思へども、然らず、節倹なる処と勉強する処に集るなり、百円の身代の者、百円にて暮す時は、富の来る事なく、貧の来る事なし、百円の身代を、八十円にて暮し、七拾円にて暮す時は、富是に帰し財是に集る、百円の身代を、百廿円にて暮し、百三拾円にて暮す時は、貧是に来り財是を去る、只分外に進むと、分内に退くとの違ひのみ、・・・世人今なきも其無きもとを知らず、夫今有物は今に無くなり、今無きものは今にあり、譬ば今有し銭のなくなりしは、物を買へばなり、今無き銭の今あるは、勤ればなり、・・・
万物生於土中 万物帰於土中(尊徳)
「空外無音声 音声帰元空 土外無万物 万物帰元土」(尊徳)
金融危機は実体経済に影響し、世界経済は不振のきわみである。金融商品の商いに小智猾才を振って賭けをなし、危機を呼んだ。あらためて農工商を勤めるべきことの大切さを尊徳の言によって知るべきときと思う。『夜話』にかくある。
翁曰、財宝を産出して、利を得るは農工なり、財宝を運転して、利を得るは商人なり、財宝を産出し、運転する農工商の大道を、勤ずして而て、富有を願ふは、譬ば水門を閉て、分水を争ふが如し、智者のする処にあらざるなり、然るに世間智者と呼るゝ者のする処を見るに、農工商を勤ずして、只小智猾才を振て、財宝を得んと欲する者多し、誤れりと云べし迷へりと云べし
今般の金融危機をもたらした強欲も、近視眼的な利の追求。遠きを謀ることの大切さ、心しなければならないのだろう。尊徳、『夜話』にこうあった。
翁曰遠を謀る者は富み、近きを謀る者は貧す、夫遠を謀る者は、百年の為に松杉の苗を植う、まして春植て、秋実のる物に於てをや、故に富有なり、近を謀る者は、春植えて秋実法る物をも、猶遠しとして植ず、只眼前の利に迷ふて、蒔ずして取り、植ずして刈取る事のみに眼をつく、故に貧窮す、夫蒔ずして取り、植ずして刈る物は、眼前利あるが如しといへども、一度取る時は、二度刈る事を得ず、蒔て取り、植て刈る者は、歳々尽る事なし、故に無尽蔵と云なり、佛に福聚海と云ふも、又同じ
信用危機のなかで貸借は縮小し、なかには返済に困るところも出てくる。いつに変わらない。
返済に行き詰まるケースでどう考えるべきか、借金で首がまわらない農民たちを数多く救済してきた尊徳の言は一顧に値するだろう。
未定稿中の文章にこうある。
或人及大借、返済方に差支、諸親類並無據面々相集り、何程評議致し候とも、返済之道無之時者、全く借用本人之落度申者御座候、依之無是非、借人方之者不残引払、其後何分難捨置、貸方者相集り、種々様々致評議候所、何も受取可申品無之時者、貸方之者一同、借用方同然落度に御座候、少も過之増減無之事候、
つまりこんないみかな。
ある人が大きな借金をして返済に差し支える、おおくの親類や頼りない面々が集まって、いくら相談しても、返済の道がないときは、まったく借りた人間本人の落ち度で、そのことで是非もない。借り方の者から残らず引き払って、その後捨て置くことができず、貸し方の者が集まっていろいろ評議して、なにも受け取ることができる品がないときは、貸し方の者一同、借り方と同様に落ち度である。少しも之に過ぎて増減これなきことなのである。
貸し方、借り方、落ち度にして同然なのである。大極からみれば、貸借の根元にまことに、増減なしで、貸し借りという契約行為でなにかが増えたということはない。貸し方も「借用方同然落度に御座候」とはよい言葉ではないか。
僻事(ひがごと)といえば、事実や道理に反した間違ったことをいう場合もあるようだが、心得違いを意味している。
なかなかじぶんの心得違いには気づきにくいもの。
尊徳の天保五年五月十二日と日付の記載がある未定稿中の文章にこうある。
世人後世を願(フト)申(ス)事あり、又陰徳を行(フト)言て、内々施行する者あり、神仏(ニ)祈(テ)信心片意知(かたいち)を出(シテ)行(フ)ものあり、孝行忠心貞節品々の勤方あり、然(レ)とも皆ひが事也、右之行ひ願ものは、先(ツ)勤行根本なり、他人の作(リ)出したる米穀、炭、薪、味噌、鹽、衣類、金銀、珠玉、家財、諸道具、舟、橋、通路、用水、一切萬々不限何事、己(レ)勤農して身分(ヲ)引(キ)、余計を人に施(セ)は右(ニ)叶(フ)、人(ノ)作(リ)出(ス)者を受(クル)時は、皆々たかふもの也、勤(メ)作りて人に施は財宝(ヲ)う(得)る、人の勤(メ)作りたる物を受れは、我(ニ)備りたる財宝直に出る者也、人の作り骨おりたるものは陽徳に成る、己(レ)勤(メ)作りて人に施は陰徳に成(ル)也、不勤して今日を送るは陽徳也、勤て未得を陰徳と申(ス)也、
ひとはいろいろな望みや考えを抱くもの。そのために、陰ながら徳を積まねばとか、神仏に祈るとか、道徳の徳目を実践しようとする。しかしそれはみな、心得違いだと。
自らがまず勤労に努めること(勤労)、そうして身分を引き(分度)、余計を人に施す(推譲)がキホンであるとの指摘。
陰徳とかいうが、勤めて得ざるをそういうので、あくまで勤労がキホンということだ。これを忘れるとみな僻事になってしまうということなのか。
なるほど。勤労せずして人の作りたるものを受けているだけでは、何を言ってもひがごとか。
君子者、以得金銀不為宝、以領知富為宝
小人者、以領-知富不為宝、以得金銀為宝
君子たる者は、金銀を得ることをもって宝となさず、領知の富をもって宝となす。
小人たる者は、領知の富をもって宝となさず、金銀を得ることをもって宝となす。
(二宮尊徳、『未定稿』より)
金銀とは貨幣を指す。カネをもって宝とせず、領知(→領地)の富、すなわち実体経済の豊かさをもって富と考えねばならんと。
それにしても人はすべからくカネを以て宝と考えるようになってしまいました。
カネを操ってカネを儲ける金融の世界ではレバレッジを効かせて多大の借り入れをして商売をするのが通例だった。それが金融危機でうまくいかなくなった。
尊徳が商売の要領につき、こう語っていたという話が斎藤高行の『二宮先生語録』にあるが、それを思い出す。
千両の資本を持った商人が、その半分で商売をし、その半分を遊資としておけば、安い商品が知らず知らず集まって来て、多大の利益を得ることができる。これが商人の道である。また、店の商品のうち何ほどかを分外として原価で売れば、そのためにまた多大の利益が得られる。これも商売のこつである。なぜなら、品が値段よりまさっていれば、お客ばかりでなく、通りがかりの人まで店先に足を止める。反対に値段が品物にくらべて高ければ、お客でさえも顧みず、通行人などもちろんのことだからだ。さて、千両の資本で千両の商売をするのさえ、人は危く思う。まして千両の資本で二千両の商売をしたならば、失敗せぬのが珍しいくらいなものだ。*1
現実は千両で二千両の商売どころではなかった。それならレバレッジは2倍にすぎない。実際は幾十倍、幾百倍もきかせていただろう。
昨今の金融・経済危機。欧米では金融業者の強欲が問題視される。日本のバブルのときもそうだった。
しかし、斎藤高行の『二宮先生語録』、巻二、145にこうある。ごく当然のことではあるが、いつも噛みしめていたい。
世人尊金銭卑米粟。是不知本末也。米粟者本也、金銭者末也。何則一日無米粟則餓。雖有金銭、而不可得食也也。
世人は金銭を尊び米粟を卑しむ。これ本末を知らざるなり。米粟が本なり。金銭は末なり。なんとなればすなわち一日米粟なければすなわち餓ゆ。金銭ありといえども、食うべからざるなり、ということなのだ。
実体経済が本であり金融経済など末なのである。本末が転倒した世界が暴走しすぎてきた。
尊徳『未定稿』にこうある。
仁を十ニ割(リ) 義ヲ十ニ割(リ) 礼ヲ十ニ割(リ) 智ヲ十ニ割(リ) 信ヲ十ニ割(リ) 右之内五ツを我ためにする、又五ツを人のためにする、常々の道なり、礼にあらす、六ツより礼のはしめ、七ツ八ツ九ツ十を経て、後に漸く仁義の道立つ、治国天下平にするは六ツを始めとするなり。
う~ん、いつも五で終わりがちだな~。それではいかんなと自戒
ハリエット・ウッズの「誰かに頼らずに堂々と立つことができる。犠牲者を生むことなしに勝者になりうる。」との下記、一文に触れ、
You can stand tall without standing on someone. You can be a victor without having victims. --Harriet Woods
二宮尊徳の自力自救の教えをフト思い出す。
往道無不至遠益 聞道無不遠行益(尊徳)
「道を往くも遠きに至らざれば益なし 道を聞くも遠く行かざれば益無し」、か。なにごとも事業は長い道のり。
いつの時代も大事にしたいもの。
・・・前条之通相互に譲り助合申候はゝ自然と本かたまり国安く罷成可申候兎角金銀財宝を貯て善事を貯へさるもの間々有之候得共願くは金銀財宝を施し善事を貯置申度候何となれは金銀財宝は驕奢弊風其外種々費も有之候得共善事の尊きゆゑんは驕奢弊風は勿論水火盗難之憂も無之後世之用意是より大なるはなし・・・*1
(・・・前条の通り相互に譲り助け合い申しそうらはば、自然と本は固まって国は安くまかりなるべくそうろう なんとなれば金銀財宝は驕奢弊風のほか種々の費えもこれありそうらえども 善事の尊きゆえんは驕奢弊風はもちろん水火盗難の憂いもこれなく後の世の用意これより大なるはなし・・・)
古語君子喩於義小人喩於利と宣へり(尊徳)。
古語に君子義において喩し、小人利に於いて喩すとのたまへり
もはや君子などいないのだから、誰もが利において語る。そうして詐欺にあう人もでる。
尊徳のことばで好きなもののひとつ。
本来人生時、一物非持参者又死時非持往者、裸来裸帰者也、然為我物不知不悟無人也
本来人の生まれる時は一物も持参しはしないし、死ぬ時は持ってゆくものではない、裸で生まれて裸で帰るもの、我が物にするは無を悟らないことを知らない人、ということかな。
なんか貧乏なのに、どうでもよいものに囲まれてかえって不自由している。モノが少ないほど豊かだといえるようになりたいもの。
まずは掃除をしない無精を直し、不要のモノを捨てて、その後は、ほしがらず、持たず、そして快適にいきたい。節約して将来に備えなきゃならない不景気のときであるのもちょうどいい。
考えてばかりでなくまず歩いてみること。すべてはまず往来することのなかにしかないと思う。
尊徳、『万物発言集』にこうあった。
本来有道而後人不為往来、初発有人為往来而後名道者也
ほんらい道というものがあってひとは往来するのではない。はじめに人が往来してその後、道というものになる、というのはなるほどと思う。
残念ながら人はそのときそのとき、特定のステータスを得て役割を果たしている。そのステータスが納得のいかない人も多いだろうし、位を変え、上位に登らんと努力するのも人間というものか。自らの処遇されるを変えんとする意欲をもち、そのために動くことがあるにしても、どの時点でみてもあるステータスを占めていることに違いはない。
そうしてその位に素してなすべきをなし、その役割をはたすほかない。これは同じ目標をもっても、その人の得た時と所によって仕方に違いが出てくることを示している。
尊徳の門人、福住正兄は「富国捷径」のなかで行政式仕法と結社式仕法の区別についてこう語っていた。もちろん前者は官、後者は民の位に素しての方法規定だ。
あるひとが又たずねる。自分はかつて福島県に行って、富田高慶に面会し、この道を問うたことがあるが、その説はあなたの説とは大いに相違して、結社というようなことはなかった。一つの報徳の道で、こんなに説が違っているのはどうしたことか。・・・それは時処位の違いによって、学んだことが違うからだ。富田・斎藤の諸氏は、旧相馬の藩士で、この道を相馬の領国に行おうとして修行した人だ。私は平民だから、この道を平民社会に行おうと修行したのだ。師、二宮翁の教えかたも、それぞれの志のありかを察して、富田には上から下に施す方法を教えられ、私らには下にいて朋友相結んで行うように教えられた。これが、一つの報徳が二途の形をなした原因であるが、行きつくところは変わりはない。もともと報徳の道は一つであるが、実施する場合には、上から下に施すのと、下にいて朋友相結んで行うのとの二つになる。
上から下に行ったのは、相馬・下館・烏山・細川候の領内などである。その実効のすみやかなことは、大河をせきとめて低い方へ流し、田を耕すようなもの、その進行の早さは汽車も郵便も及ぶところでない。ところが、下にいて朋友相結んで行う場合は、その進行の遅々たることは言語道断で、実に天と水たまり、月とすっぽんぐらいの差があるけれども、平民たるわれわれがこの遅々たるやりかたをきらっていては、ほかに行うべき方法がない。だからして、ただ、うまずに勤めるよりしかたがない。・・・もし、天の愛護に万一の僥倖があって、大臣・参議と生まれかわることでもあったら、勅許を得て、高田・斎藤の諸氏が学んだ方法によってこの道を天下に行うだけのこと、そのときは何もささやかな結社法を行う必要はない。しかし、もし再び平民と生まれたならば、やはり今日のように結社法に従事し、「その位に素して行い、そのほかを願わず」の教えを守るだけの話である。・・・
権藤成卿は昭和6年、純眞社刊の『日本農制史談』で二宮尊徳についてはなはだ無理解なことを述べている。江戸も下がり、元禄以降となって、各藩、各地方で自地域振興の経済政策をたてるようになり、「民政の学者が輩出し」たにつき、その一人に尊徳も挙げ、こう述べている。
細井平洲の如き岡永松陽の如き立派な学者が出て、村々の独立自営を教へるかと思うと、他方には二宮尊徳の如き御用学者も出て、手前味噌を並べ、他村の迷惑をかまはず、自村さへよければ善いと言う方針も教へられた。当時各藩には此種の人物が輩出した。田中政臣の調べによると、その当時に全国に五十七八人も此種の大家がいたのであると云ふ。二宮尊徳もその中の一人であつたが、他の人々の名が隠れ、尊徳のみ名を伝えられるは、彼が現状肯定の御用学者であつた為に、明治時代に非常に重んぜられたからである。(169-170頁)
尊徳は政治向きの発言をするような人ではなかったという。
政治の現状を打破して根本的に社会を変革すべきとの主張の人間からは、御用学者にみえるのだろう。
周囲は、じぶんたちの都合で尊徳を右に置いたり左においたりする。戦後金次郎像を待ちかまえていたのは破壊であり、それは国家に利用された尊徳への反発だろうし、真説・二宮金次郎の舞台が「真に民主的な」尊徳像を真実として掘り起こそうというのも、尊徳を見る側の事情にすぎないと思う。
「村々の独立自営」や「根本的な民力自彊の方法を」説いた学者は明治政府と相容れなかったと権藤は言うが、尊徳はそういう考えを説いたばかりでなく実際に実践した人間でもある。空論家ではなかった。立派な学者であると同時に人々のために自立自主の社会経済を打ち立てるべく実践する実践家であったればこそ、政治的な主張を避けたのだろう。その社会的実践に専念した姿は、尊徳が実際に人々を救う取り組み、地域の振興の実現を第一にしていたからと思える。
尊徳の実践さえ、さまざまな障害にあったことはよく知られている。もし、時の権力と摩擦を起こすことがあるようであれば大原幽学のように自死に至るのほかなかったにちがいない。それでは達成すべき課題を放棄することになってしまう。
先々週の末、念願の二宮町に行った。尊徳の桜町仕法の地である。その金融スキームについては以前、韓国実学学会主催の国際シンポで報告した(「二宮尊徳における内発的発展の論理」、韓国実学学会編、「韓国実学研究」、第5号、民晶社、2003、所収 ISSN 1598-0928)こともあり、現地を訪ねるのが念願だった。
ちょうど正月以来、あまり体を動かしていなかったので、ネットで簡単に地図を調べて、真岡の駅から歩こうと決める。そもそも自動車のようなモノはもっていないし、桜町陣屋までは、4キロほど。1里。1時間ちょぃ歩けばつくだろうと思った。
湘南新宿ラインに乗り、小山へ。乗り換えて下館へ。下館は以前、町づくりの関係で講演に行ったことがある。駅前は綺麗で、衰退をなんとか跳ね返そうとしている印象。そこで真岡鉄道に乗り換え、真岡駅まで行く。
おおよその見当をつけて、歩き始める。県道45号線に出れば、そのまま歩けば目的地に着くと思ったが、なかなかわからない。日曜だったせいか真岡の町は閑散として人通りもない。道を尋ねようとしても人がいない、お店もみな閉まっている(泣)。街中を迷いながら、それでも道路標識を頼りに、おそらくこの道に違いないと、歩いている道を県道45号と決めこむが、心中、頼りなく心配。歩き行くほどに家も少なくなる。地方の郊外は道を間違えるとエライことになるので心細さはひとしお。
ほんとにこの道でよいのか心配が極点に達したときに、あった!この案内標識が。
二宮尊徳資料館とある。この道でよかったのだ。心細さは一気に解消。
少し行くと、観音堂があった。
隣に公民館のようなものがあり人が集まっていたので、
「なにかで読んだんですが、この観音堂は尊徳さんが桜町に入るとき、土地の悪党を観音経を唱えて退散させたという話の、その観音堂ですか」
と聞いたら・・・
「土地の人間じゃあないのでわからない」
とのこと。よくよくみたら、
二宮先生遺跡と書いてある。やはりそうかと思う。これだこれだ。
それからは一気呵成に歩く。
桜町陣屋だ。
二宮町はとてもよく陣屋を管理・保存されている。陣屋の横は、報徳田が発掘され再現されている。桜の木々が並ぶ。さぞ桜咲く季節はよろしかろうと感じる。
隣にある桜町二宮神社に参詣。
その後、資料館へ。館の方々は尊徳さんに詳しいので、話し込んでしまう。
結局この日は、それで時間切れ、真岡の町まで歩いて戻る。
次回は別コースで、尊徳さんゆかりの諸所を訪ねたいと。
若い時分に経済学を指導してくださった高名な経済学者は常日頃、経済学は分配論が未完成だとおっしゃっていた。
分配の問題は経済学にとってばかりではない、なによりも社会とその経済の問題であり、政治の問題であり続けている。
今般の経済危機は第二幕、第三幕へと突き進んでいるように見えるが、引き合いに出されるかつての大恐慌、その大恐慌後に(1934から1948)連銀の議長であったエクルズは国民所得の賃金と利潤への間違った分配に危機の原因があると指摘していたという。
米国人大衆に十分な賃金が配分されず、他方で企業が莫大な利潤を得ていたというわけだ。
エクルズの言葉。
もし国民所得がよりよく分配されていれば、言い換えるなら、もし企業が利潤をより少なくし、もっとも富裕な階層が所得をよりわずかなものとし、ほとんどの慎ましい家計が幾分多くをもったならば、経済はかなりしっかりしていたであろう。
所得分配のよろしきを得なければ危機に至るのほかない。
まことに二宮尊徳が「青木村無利五ヶ年賦貸付準縄帳跋文」で言うように、
古語有国有家者不患寡而患不均不患貧而患不安盖均無貧和無寡安無傾と宣へり*1
ま、こんな意味か:古語に、国有れば家あり、寡きを患えずして均しからざるを患う、貧しきを患えずして安からざるを患う、けだし貧なければ均、寡なければ和す、傾くことなければ安し、という。
いつにも真理は変わらない。
いつの時代も変わらんと思う。
