的確
「チェスをするとき、あなたの駒はすべて明確な目的をもっている。的確なものを的確なときに動かしているか確認すべきだ。」(ロナルド・ジャクソン)
そうは言うが、なかなか難しい・・・
「チェスをするとき、あなたの駒はすべて明確な目的をもっている。的確なものを的確なときに動かしているか確認すべきだ。」(ロナルド・ジャクソン)
そうは言うが、なかなか難しい・・・
貧富という。しかし、その本を知ること、因って来たるところを知るべきなのだと思う。尊徳『夜話』中にこうある。
分度とはなにかよく理解させてくれる。
翁曰、貧となり富となる、偶然にあらず、富も因て来る処あり、貧も因て来る処あり、人皆貨財は富者の処に集ると思へども、然らず、節倹なる処と勉強する処に集るなり、百円の身代の者、百円にて暮す時は、富の来る事なく、貧の来る事なし、百円の身代を、八十円にて暮し、七拾円にて暮す時は、富是に帰し財是に集る、百円の身代を、百廿円にて暮し、百三拾円にて暮す時は、貧是に来り財是を去る、只分外に進むと、分内に退くとの違ひのみ、・・・世人今なきも其無きもとを知らず、夫今有物は今に無くなり、今無きものは今にあり、譬ば今有し銭のなくなりしは、物を買へばなり、今無き銭の今あるは、勤ればなり、・・・
すれ違う
家族連れ見て
甦る
遠い記憶の
我の姿よ
最近はパソコンの前に座るとかならずWorld Community Gridのソフトを動かす。参加する人が増えれば増えるほど人々に利益をもたらすプロジェクトが進む。すばらしいシステムと思う。
万物生於土中 万物帰於土中(尊徳)
「空外無音声 音声帰元空 土外無万物 万物帰元土」(尊徳)
金融危機は実体経済に影響し、世界経済は不振のきわみである。金融商品の商いに小智猾才を振って賭けをなし、危機を呼んだ。あらためて農工商を勤めるべきことの大切さを尊徳の言によって知るべきときと思う。『夜話』にかくある。
翁曰、財宝を産出して、利を得るは農工なり、財宝を運転して、利を得るは商人なり、財宝を産出し、運転する農工商の大道を、勤ずして而て、富有を願ふは、譬ば水門を閉て、分水を争ふが如し、智者のする処にあらざるなり、然るに世間智者と呼るゝ者のする処を見るに、農工商を勤ずして、只小智猾才を振て、財宝を得んと欲する者多し、誤れりと云べし迷へりと云べし
視力落ち
白くぼんやり
雪柳
庭先の
立木一本
枯れている
以前はメッセンジャーソフトをよく使っていた。
じぶんの現状(プレゼンス)を表示しておけるのだが、たくさんのことが書けるわけではない。
Twitterを使い始めて140字という量がちょうどよいと感じ始めた。
それに、Twitterに書いたことをブログのほうにすぐに反映させることができるのもありがたい。メッセンジャーソフトと違ってじぶんのネットワーク以外にも公表されるが、まあ、見る人は決まっているので特段気にする必要も感じない。
それにケータイで利用できるのがなにより。pcの前に座る時間が少なくなったが、そうしたじぶんの行動様式の変化に合った便利なサービスがいろいろあってありがたい時代だなと思う。
今般の金融危機をもたらした強欲も、近視眼的な利の追求。遠きを謀ることの大切さ、心しなければならないのだろう。尊徳、『夜話』にこうあった。
翁曰遠を謀る者は富み、近きを謀る者は貧す、夫遠を謀る者は、百年の為に松杉の苗を植う、まして春植て、秋実のる物に於てをや、故に富有なり、近を謀る者は、春植えて秋実法る物をも、猶遠しとして植ず、只眼前の利に迷ふて、蒔ずして取り、植ずして刈取る事のみに眼をつく、故に貧窮す、夫蒔ずして取り、植ずして刈る物は、眼前利あるが如しといへども、一度取る時は、二度刈る事を得ず、蒔て取り、植て刈る者は、歳々尽る事なし、故に無尽蔵と云なり、佛に福聚海と云ふも、又同じ
釣人の
質を表す
海辺かな
永遠が時間と向き合っているように空間は場所と向かい合っている。(ジョゼフ・ジュベール)
信用危機のなかで貸借は縮小し、なかには返済に困るところも出てくる。いつに変わらない。
返済に行き詰まるケースでどう考えるべきか、借金で首がまわらない農民たちを数多く救済してきた尊徳の言は一顧に値するだろう。
未定稿中の文章にこうある。
或人及大借、返済方に差支、諸親類並無據面々相集り、何程評議致し候とも、返済之道無之時者、全く借用本人之落度申者御座候、依之無是非、借人方之者不残引払、其後何分難捨置、貸方者相集り、種々様々致評議候所、何も受取可申品無之時者、貸方之者一同、借用方同然落度に御座候、少も過之増減無之事候、
つまりこんないみかな。
ある人が大きな借金をして返済に差し支える、おおくの親類や頼りない面々が集まって、いくら相談しても、返済の道がないときは、まったく借りた人間本人の落ち度で、そのことで是非もない。借り方の者から残らず引き払って、その後捨て置くことができず、貸し方の者が集まっていろいろ評議して、なにも受け取ることができる品がないときは、貸し方の者一同、借り方と同様に落ち度である。少しも之に過ぎて増減これなきことなのである。
貸し方、借り方、落ち度にして同然なのである。大極からみれば、貸借の根元にまことに、増減なしで、貸し借りという契約行為でなにかが増えたということはない。貸し方も「借用方同然落度に御座候」とはよい言葉ではないか。
感じて想像する力はやはり大切か。
あなたが共感と想像の力を開発し始めると、あなたには全世界が開かれます。(スーザン・サランドン)

厄年とは満年齢なのか数え年なのかどちらだろう、と思っていたが、やはり数えだった。
僻事(ひがごと)といえば、事実や道理に反した間違ったことをいう場合もあるようだが、心得違いを意味している。
なかなかじぶんの心得違いには気づきにくいもの。
尊徳の天保五年五月十二日と日付の記載がある未定稿中の文章にこうある。
世人後世を願(フト)申(ス)事あり、又陰徳を行(フト)言て、内々施行する者あり、神仏(ニ)祈(テ)信心片意知(かたいち)を出(シテ)行(フ)ものあり、孝行忠心貞節品々の勤方あり、然(レ)とも皆ひが事也、右之行ひ願ものは、先(ツ)勤行根本なり、他人の作(リ)出したる米穀、炭、薪、味噌、鹽、衣類、金銀、珠玉、家財、諸道具、舟、橋、通路、用水、一切萬々不限何事、己(レ)勤農して身分(ヲ)引(キ)、余計を人に施(セ)は右(ニ)叶(フ)、人(ノ)作(リ)出(ス)者を受(クル)時は、皆々たかふもの也、勤(メ)作りて人に施は財宝(ヲ)う(得)る、人の勤(メ)作りたる物を受れは、我(ニ)備りたる財宝直に出る者也、人の作り骨おりたるものは陽徳に成る、己(レ)勤(メ)作りて人に施は陰徳に成(ル)也、不勤して今日を送るは陽徳也、勤て未得を陰徳と申(ス)也、
ひとはいろいろな望みや考えを抱くもの。そのために、陰ながら徳を積まねばとか、神仏に祈るとか、道徳の徳目を実践しようとする。しかしそれはみな、心得違いだと。
自らがまず勤労に努めること(勤労)、そうして身分を引き(分度)、余計を人に施す(推譲)がキホンであるとの指摘。
陰徳とかいうが、勤めて得ざるをそういうので、あくまで勤労がキホンということだ。これを忘れるとみな僻事になってしまうということなのか。
なるほど。勤労せずして人の作りたるものを受けているだけでは、何を言ってもひがごとか。
昨日、一日散歩をすることとした。冬の間についた、からだのアブラも少しはとれたか・・・
袋井まで電車。ふくろいから東海道を行くこととした。
かなり歩いて木原の一里塚に至る。小休止。
由緒ありそうな神社を経て
どれくらい歩いたか、黙々と歩き、かなり疲れる。
遠州鈴ヶ森のところに至る。
そして見付の宿に。
名物の粟餅を購入。なかなかよい味。
有名な見付学校を見る。
磐田に向かう途中、木製の鳥居の神社。
浜松に向かい、天竜川を渡る。
土地の人に昔、天竜川を下り来た木材の製材で栄えた頃の話を聞く。明治・大正と活躍した事業家、金原明善の話は興味深かった。明善記念館はちょうど休館日だった。残念。
春の一日、好天で快適であったが、空を見上げれば黄砂が飛んできているようで、これまた、ちょっと残念。
信用されるのは、愛されるより大きい賛辞である。(ジョージ・マクドナルド)
なかなか信用を得ることは難しい。
私たちをだめにするのはストレスじゃあなくて、それへの私たちの反応だ。(ハンス・セリエ)
Its not stress that kills us, it is our reaction to it. --Hans Selye
そういわれてみると、そうだよな〜
「グローバル経済で行われる取引の95%は実物財となんの関係ももっていません。私たちは惑星との関係を断ち切り、金融工学を通して利益を生み出すことができると感じている経済をもっているのです。問題はこうした環境から経済を掘り上げてしまったことが意味するのは、もはや地球がどれくらい支えることができるかに関する認識がないということです。資源は使い果たされ、エネルギーは尽きてしまう。私たちは私たちをサポートするシステムをだめにしているのです。」
リンク: The Ecologist - Iceland's economic meltdown: a lesson from the frontline of global finance.
金融経済は私たちがどこで生存しているかの認識をもたねばならないのだろう。
このような新しい社会運動は資本主義の終わりのない不合理な「もっと!」の追求を不要とし、代わりに「十分!」に焦点をあてるべきだ。
足るを知るということだろう。外国の方も二宮尊徳を勉強して欲しいなあ。
リンク: Economy, Ecology, Empire.
・・・私たちは非常に忙しい。米国における私たちの時間は働くこと、眠ること、食べることなどに制限されている。週末や休暇は回復しなければならないだけ。私たちは若者らしい夢を忘れ、創造的な関心を持ち続けず、あるいは楽器のようなそのほかのことに手を広げない。人々は単なる楽しみやレジャーの時間をもたず、あるいは走りながらそれをつかみ取るのだ。「上質の時間」は最近の観念だが、あらゆる時間が上質の時間であるべきだし、・・・
日本だってそうだよなあ〜
リンク: Culture Change - Downward Spiral's Silver Lining: End of Lonely Plastic Culture.
君子者、以得金銀不為宝、以領知富為宝
小人者、以領-知富不為宝、以得金銀為宝
君子たる者は、金銀を得ることをもって宝となさず、領知の富をもって宝となす。
小人たる者は、領知の富をもって宝となさず、金銀を得ることをもって宝となす。
(二宮尊徳、『未定稿』より)
金銀とは貨幣を指す。カネをもって宝とせず、領知(→領地)の富、すなわち実体経済の豊かさをもって富と考えねばならんと。
それにしても人はすべからくカネを以て宝と考えるようになってしまいました。
さあやるか
花咲き始め
決意する
単に注意を向けるだけで私たちは情緒的なつながりをつくることができます。注意を欠いていると、感情移入する機会はないのです。ダニエル・ゴールマン
人に注意を払い、配慮することを常に心がけておかねばならんな〜。なかなかできないが。そのくせ自分が無視されているときは不満に思うものだ。困ったもんだなあ。
ちっぽけな取り組みでさえ日々にしなけりゃならんか。
ヘレン・ケラーのこんな言葉があるんですね。
世界はヒーローたちの強力な一押しばかりでなく、個々の実直な労働者のちっぽけな影響力の集合によっても動かされる。
私たちは人々のそのときそのときの瞬間を見ているだけ。そうなってきた経緯を見ているわけではないのだ。
どんな時でも誰かについて私たちが見るのはなんであれ、その人生のスナップショットなんです。豊かさや貧しさがあります。喜びとか絶望があります。スナップショットはそうした瞬間まで導いた数え切れない決定を示してはいないのです。(リチャード・バッハ)
春の雨
濡れて冷たい
雇い止め
コミュニティで生きるということをよく示してくれている一文と思う。
私はコミュニティのなかにある考え方を継承している。その心が集まって文化を創り出し変えていくことができる約束事を。砂漠では、時を経て風や水が岩石のなかでさえ変化を促進するのだ。(テリー・テンペスト・ウィリアムス)
カネを操ってカネを儲ける金融の世界ではレバレッジを効かせて多大の借り入れをして商売をするのが通例だった。それが金融危機でうまくいかなくなった。
尊徳が商売の要領につき、こう語っていたという話が斎藤高行の『二宮先生語録』にあるが、それを思い出す。
千両の資本を持った商人が、その半分で商売をし、その半分を遊資としておけば、安い商品が知らず知らず集まって来て、多大の利益を得ることができる。これが商人の道である。また、店の商品のうち何ほどかを分外として原価で売れば、そのためにまた多大の利益が得られる。これも商売のこつである。なぜなら、品が値段よりまさっていれば、お客ばかりでなく、通りがかりの人まで店先に足を止める。反対に値段が品物にくらべて高ければ、お客でさえも顧みず、通行人などもちろんのことだからだ。さて、千両の資本で千両の商売をするのさえ、人は危く思う。まして千両の資本で二千両の商売をしたならば、失敗せぬのが珍しいくらいなものだ。*1
現実は千両で二千両の商売どころではなかった。それならレバレッジは2倍にすぎない。実際は幾十倍、幾百倍もきかせていただろう。
硫酸鉄を海洋に撒き植物プランクトンを発生させCO2を吸収させるというドイツのPOLARSTERN号によるおもしろい実験のお話。
昨今の金融・経済危機。欧米では金融業者の強欲が問題視される。日本のバブルのときもそうだった。
しかし、斎藤高行の『二宮先生語録』、巻二、145にこうある。ごく当然のことではあるが、いつも噛みしめていたい。
世人尊金銭卑米粟。是不知本末也。米粟者本也、金銭者末也。何則一日無米粟則餓。雖有金銭、而不可得食也也。
世人は金銭を尊び米粟を卑しむ。これ本末を知らざるなり。米粟が本なり。金銭は末なり。なんとなればすなわち一日米粟なければすなわち餓ゆ。金銭ありといえども、食うべからざるなり、ということなのだ。
実体経済が本であり金融経済など末なのである。本末が転倒した世界が暴走しすぎてきた。
尊徳『未定稿』にこうある。
仁を十ニ割(リ) 義ヲ十ニ割(リ) 礼ヲ十ニ割(リ) 智ヲ十ニ割(リ) 信ヲ十ニ割(リ) 右之内五ツを我ためにする、又五ツを人のためにする、常々の道なり、礼にあらす、六ツより礼のはしめ、七ツ八ツ九ツ十を経て、後に漸く仁義の道立つ、治国天下平にするは六ツを始めとするなり。
う~ん、いつも五で終わりがちだな~。それではいかんなと自戒
ネットのおかげでたくさんの知識が容易に手に入る。技術の発展が与えてくれる恩恵を感じる。しかし・・・
もう賢いだけでは十分ではないのです。世界のあらゆる技術的なツールはそれらが私たちのコアの価値、心のもっとも深い部分を高める場合にだけ、意味と価値を付け加えるのです。知識を得ることは実践的に、有用に適用することを保証するものではありません。知恵には適切な知識の成熟した統合、本質から本質でないものを濾し取るこなれた能力が含まれるのです。(ドク・チルダー並びにブルース・クリー)
暖かな
雨が迎えた
弥生かな
